珍しいお話・玉置神社③
2月になりました。寒さが再び戻ってきたような気がしますが、春はもうすぐ。
…鼻がムズムズしていますから。。。
さて、お話はまだ続きます。
玉置神社の帰路についた私は途中で神々しい写真を撮った後、犬吠え檜を過ぎ、かぜのはらいどの大神にお礼を述べて駐車スペースに着きました。
不思議なことに先に降りていったあの方に会うことがなく、車は停まったままでした。先に行ったはずなのになーと思って帰り支度をしていると、参道ではない森の中の林道からあの方が現れました。
帰る前に挨拶しておこうと声をかけさせていただきました。するとまた珍しいお話が。。。
『念を祓いに行ってきていた』とのことでしたので詳しく聞いてみると、前述の廃仏毀釈の頃の念や修行中に亡くなった方々の念はもちろん、参拝される人々の念は徐々に玉置の地に溜まっていくようです。その『念』は悪さをするだけでなく、神様達ににも弊害があるのだそう。そういう念が山頂付近の『宝冠の森』には渦巻いているので一人では行かない方がいいと言われました。足が向かなかったのはそのせいだったのかもしれません。
神様って見たことある方っていらっしゃいますでしょうか。私は気を感じることはできても見えたことは今のところありません。
これを読んでくださっている貴方様は見える方なのかもしれませんね。無神論者の方は読んでもピンとこないと思いますし、そもそも読んではいないかも(笑)
その方いわく、日本の神様は『光の柱』の状態で見えるそうです。行くときにおしゃっていた『柱』とはそのことだったようです。降臨されると光の柱が降りてきてくださるのだそうです。なるほど、神様を数える時は『柱』ですね。
その『光の柱』は念などで徐々に黒く染まっていくようです。それが大きく全体に染み渡った時、神様の力は制限され、身動きができずご加護の働きも弱くなってしまうようです。そのため、声を聴ける人に祓ってもらう役割を与えるようです。役割を与えられた人はとても大変だそうであちらこちらに呼ばれてしまうとのことでした。その方も元々からお声が聴けるのではなかったようです。
大鳥居を寄進した時、玉置山から戻るとひどい熱がでたそうです。そして帰宅後布団で横になっていた時、自分の寝ている周囲に十三柱の神々が降りてきたとのことでした。天照大御神様を始めたくさんの神々を感じた時、体は布団で横たわっていましたが、魂はひれ伏してお声を始めて聴いたようです。そこで伝えられたのは役割を与えるという趣旨のことでした。ご本人様はその時『やったー!ついに私も力を授かった!』と喜んだそうです。ですがいざ始まってみると大変なものだということでした。
あと教えて頂いたのは、神様のお声は耳ではなく、胸の辺りに聞こえてくるとのことでした。例えるならハッとする閃きのような感覚ということでした。
自宅の近くにいる龍神様のところに他所から違う龍神が来てその龍神様を返すまでのお話や、沖縄の例の火事の真相、各地に行ってお祓いをした話など、たくさんのお話を聞かせて頂きました。
世界の中心は玉置山だというお話も興味深く、いかにこの地がすごい場所なのかを知りました。物質的な玉置山は1077メートルなのですが、近所のとある地点から外側を囲むように霊的な玉置山はピラミッド状の遥か3000メートル級の山だそうでその頂からまっすぐ降りたところは瀞峡(どろきょう)という渓谷の龍穴だということでした。ワクワクするようなお話をたくさん聞けて私はこの日に来て出会えたご縁に感謝致しました。
今まで一番長い時間、玉置山に滞在したので日も落ちかけた頃、その方が『龍神に遭いに行く?』と言われ私は二つ返事で同行させていただくことにしました。
今まで絵を描くのに採水していた場所はその名も『龍神水』と書かれた祠で、これまで何度も通っていましたがそれ以外にも近くに龍神様に纏わる場所がある。。。それを知ることにドキドキしました。いつもの祠は黒龍様がいいるとのことで、今から行くところは八大龍王様がいるとのことでした。ご縁を結んでくれるのはありがたいことです。
私が玉置山に行く方とは逆の方へ降りて行きました。15分~20分くらい走ったでしょうか。もっと短かったのかもしれませんがワクワクが時間の感覚をも変えていたかもしれません。ふいにその場所に到着しました。
着いた瞬間の心のざわつきは忘れることはないでしょう。石造りの鳥居。凛とした空気。滝と深く澄んだ淵。ご神気を強く強く感じます。
『ここだよ』と言われる前に『絶対ここだ!』と思えた場所。私はただただ合掌していました。それほどまでにその場所は空気が違いました。その方がお供えしたお酒などのおさがりをいただきました。『禊はしてはいけないよ。中に”いる”から体壊すよ。あと、絵を描くなら両方の水を混ぜると陰と陽の力でいいものが描けると思うよ。』と教えて頂きました。そして再会を約束してお別れしました。
その場所で私は一人、龍神様にご挨拶と感謝を述べました。滝の音はさながら龍の声の如く、うねる淵の水は清浄でまさに龍。逆にいないと思うことが不自然なくらい。水面間近に龍神祝詞を奏上致しました。しばらくその場でお話して、お水を分けて頂きました。
それ以来私の絵は両方の水を使っています。
また伺いますとその場を後にし、いつもの龍神様の祠に立ち寄り、約束通りお経と祝詞をしました。時間はもう5時をまわっていました。
お昼を食べていないことなど今の今まで忘れていましたが、夕日を見て急に空腹を覚えておにぎりを食べながら運転して帰りました。
山を下っていく途中、コンビニ弁当などのごみが散乱していたので片づけました。祈りを捧げにきた山にどうしてそんなことができるのだろう。。。
帰路について私は興奮していました。
新しいご縁。この日と前の日にあったすべてが線で繋がってそのことに神々のお導きを感じずにはいられませんでした。
学校であったことを報告するような、子供みたいな興奮状態の気持ちで親に電話し、家族に話し、twitterでもお話しました。あの日のことは一生忘れないでしょう。
さて、長かったこの日の玉置神社のお話はここまで。どうでしたか? 珍しいお話だったと思いますがいかがでしょうか。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます<(_ _)>
次のお話をお楽しみに☆
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